趙紫陽 極秘回想録 天安門事件「大弾圧」の舞台裏!趙紫陽 /バオ・プー /ルネー・チアン /アディ・イグナシアス
光文社 刊
発売日 2010-01-19
“1989年6月4日”-世界は歴史の涙を忘れない- 2010-01-30
趙紫陽と胡耀邦、彼ら二人は共に“21世紀の超大国”の指導者としてシンボライズされた人物だった。建国以来、毛沢東・劉少奇・周恩来・トウショウヘイ・華国邦と続いてきた長老達とは異なり実務畑出身の新たな指導者だった。
78年の『4つの近代化』を現実の形とすべくトウショウヘイ(“トウ”が文字化けするのでカタカナ表記とする)が次期指導者として指名したのもこの二人だった。
けれども中南海の守旧派は彼らの改革開放政策、例えば香港に見られる一国二制度のシステムを共産主義の建前から全面的に否定した。
そして中国国内で経済的に一応の安定が取り戻され、次に国民の目が向かったのは東欧諸国から始まる“ヴェルヴェット革命”の流れを受けた『政治的自由の獲得』へと向かう。
1989年6月4日、天安門広場でハンストを続ける市民や学生達の前に現れ彼らに銃口を向けたのは他ならぬ人民解放軍の姿だった。不測の事態を予測し彼らの身の安全を何よりも優先に考えて趙紫陽が行ったのはメガホンを手に涙ながらに“解散”を群衆へと訴えることだった。そして彼が危惧したとうり、その夜半に二人のバックボーンとなるべきはずのトウショウヘイの指示による“鎮圧”が行われ、多くの血が流されたことは記憶の上でも新しい。
事件が起こる以前、趙紫陽はもう一つの大国ソ連の新しい指導者M・ゴルバチョフと会談し“人間の顔をした社会主義”の構築とその希望を知る。以来、趙紫陽は国内で精力的に“改革”を推し進めていく。しかしそれは同時に彼ら“新人類”にとって政治生命の危機にも繋がりかねない諸刃の剣だった。
事件の後、“中国の星”は政治局員の肩書きを除いた全ての政治的指導力を剥奪され、歴史の表舞台から姿を消す。けれども彼らの希望の灯は消えることなく次の世代へと引き継がれていく。
この本はそうした“中南海の皇帝達”と“中国の星”を巡る“中国現代史”である。国際社会の中での中国の青写真を作ろうとした世代と原則に固執した長老達、その結果がもたらしたものは“歴史の涙”だった。
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2010-03-20|
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