軍形篇・三は「勝ち易きに勝つ」
勝ヲ見ルコト衆人ノ知ル所ニ過ギザルハ、善ノ善ナル者ニアラザルナリ。戦イ勝チテ天下善(ヨ)シト曰(イ)ウモ、善ノ善ナル者ニアラザルナリ。
故ニ秋毫(シュウゴウ)ヲ挙グルモ多力トナサズ。日月ヲ見ルモ明目トナサズ。雷霆(ライテイ)を聞クモ聡耳(ソウジ)トナサズ。
古ノ所謂(イワユル)善ク戦ウ者ハ、勝チ易キニ勝ツ者ナリ。故ニ善ク戦ウ者ノ勝ツヤ、智名ナク無く、勇功ナシ。
誰にでもそれとわかるような勝ち方は、最善の勝利ではない。
戦って勝ち世間に称賛されるのも、最善の勝利などではない。
毛を一本持ち上げたからといって誰も力持ちとはいわない。太陽や月が見えるからといって誰も目が利くとはいわない。雷鳴が聞こえたからといって誰も耳がさといとはいわない。そういうことは、普通の人なら、無理なく自然にできるからである。
それと同じように、昔の戦上手は、無理なく自然に勝った。だから、勝っても、その知略は人目につかず、その勇敢さは、人から称賛されることがない。
教科書としている本書(孫子の兵法・応用自在!ライバルに勝つ知恵と戦略守屋洋・著)で紹介されているとっておきの逸話を紹介しよう。
「墨子(ぼくし)」
戦国時代、楚(そ)の王は、「技術者の元祖」「大工の神様」といわれた公輸盤(こうゆはん)が楚のために開発した新兵器、雲梯(うんてい・攻城用のはしご)を用いて宋(そう)の国を攻め取ろうとしていた。
齊(せい)でこの噂を聞きつけた墨子は、昼夜兼行で楚の都にかけつけ、公輸盤とに面会を求めた。
「義、智、仁、忠、強」を問い宋を攻めないように要請するが「楚王の承諾を得ており中止はできない。」「ならば、楚王に引きあわせてほしい」
墨子は楚王に謁見し「義」を問うて中止を訴えるが公輸盤の面子を理由に聞き入れられない。
そこで墨子は、公輸盤に机上作戦を所望し、革帯を解いて城壁に見立て、木札を兵器になぞらえて模擬攻城戦を行った。
公輸盤はくりかえし攻撃に出たが、墨子はそれをことごとく防ぎきった。
しかも墨子の防御用の木札手はまだ残っていた。
ついに、木札の尽きた公輸盤は「負け申した。しかし、私には更なる秘策が有るが、ここでは言わないでおきましょう」と開き直った。
「先刻、承知しています・だが、言わずにおきましょう」と墨子。
楚王が「どういうことか?」と墨子にたずねた。
墨子は「公輸子(こうゆし)は要するにこの私を殺せばよいと考えているのです。私さえ殺してしまえば、宋に守り手がいなくなるから、攻められるというわけです。しかし、そうは参りません。禽滑釐(きんかつり)をはじめ三百人の私の弟子がすでに私の考案した防御用の兵器をたずさえて、宋城で楚軍の攻撃を待ち構えています。私を殺したところで、宋を滅ぼすことはできません。」
そのやりとりを見ていた楚王は、宋攻撃を中止することを墨子に誓った(公輸編)
首尾よく宋の危機を救った墨子は、帰路、宋を通り過ぎた。折悪しく途中、大雨にあったので、とある里門のひさしを借りて雨宿りをしようとしたところ、門番から追い立てを食らったという。
宋の人々は、自分たちを戦火から救ってくれた大恩人の功績をまるで知らなかったのである。
「人知れず危機を救ったときには、人々はその功績に気づかない。これ見よがしに騒げば、その功績は知られるのだが・・・・・。」