孫子の兵法・虚実篇の三は
「虚(キョ)を衝(ツ)く」 進ミテ禦(フセ)グベカラザルハ、ソノ虚ヲ衝ケバナリ。退キテ追ウベカラザルハ、速カニシテ及ブベカラザレバナリ。故ニ我戦ワント欲スレバ、敵、塁ヲ高クシ溝(コウ)ヲ深クストイエドモ、我ト戦ワザルヲ得ザルハ、ソノ必ズ救ウ所ヲ攻ムレバナリ。我戦イヲ欲セザレバ、地ヲ画(カク)シテコレヲ守ルモ、敵、 我ト戦ウヲ得ザルハ、ソノ之(ユ)ク所ニ乖(ソム)ケバナリ。
進撃するときは、敵の虚を衝くことだ。そうすれば敵は防ぎきれない。退去するときは、迅速にしりぞくことだ。そうすれば敵は追撃しきれない。
こちらが戦いを欲するときは、敵がどんなに塁を高くして堀を深くして守りを固めていても、戦わざるをえないようにしむければよい。それには、敵が放置しておけないところを攻めることだ。
反対に、こちらが戦いを欲しないときは、たとえこちらの守りがどんなに手薄であっても、敵に戦うことができないようにしむければよい。それには、敵の進攻目標を他へそらしてしまうことだ。
※塁(るい)とりで
敵の「虚」を衝く、孫子はなかなか高度なことを要求なさる(笑)
敵の虚は必ずあるという前提であるが、それを見抜くものは「善く戦う者」に限られると言うのだ。
すなわち孫子の兵法をいくら学んだところで「善く戦う者」にならなければ駄目だと言うことなのだ。
巷では、ビジネスの成功は素質や才能ではないというが本当だろうか?
努力、忍耐、根性で成功するなら「兵法」などいらないことになりはしないだろうか?
全ての人が成功する(勝つ)ことはできないが、全ての人が(敗北)するわけではないのだ。
「必ず勝つ」という幻想に囚われず、負けない態勢を維持しつつ相手の失策を見逃さない。
逃げることも兵法であり、潔く散る精神では決して勝者になることはないのだ。