虚実篇のニは
「守らざる所を攻める」 ソノ趨(オモム)カザル所ニ出(イ)デ、ソノ意(オモ)ワザル所に趨ク。行クコト千里ニシテ労セザルハ、無人ノ地ヲ行ケバナリ。攻メテ必ズ取ルハ、ソノ守ラザル所ヲ攻ムレバナリ。守リテ必ズ固キハ、ソノ攻メザル所ヲ守レバナリ。故ニ善ク攻ムル者ニハ、敵、ソノ守ル所ヲ知ラズ。善ク守ル者ニハ、敵 ソノ攻ムル所ヲ知ラズ。微(ビ)ナルカナ微ナルカナ、無形ニ至ル。神ナルカナ神ナルカナ、無声ニ至ル。故ニヨク敵ノ司命(シメイ)タリ。
敵が救援軍を送れないところに進撃し、敵の思いもよらぬ方面に撃って出る。
千里も行軍して疲労しないのは、敵のいないところを進むからである。攻撃して必ず成功するのは、敵の守っていないところを攻めるからでである。守備に回って必ず守り抜くのは、敵の攻めてこないところを守っているからである。
したがって、攻撃の巧みな者にかかると、敵はどこを守ってよいかわからなくなる。
そうすると、まさに姿も見せず、音もたてず、自由自在に敵を翻弄することができる。こうあってこそはじめて敵の死命を制することができるのだ。
守らざるところを攻める。
孫子の真髄は勝つことではなく「不敗」にある。
不敗とは勝っていないが負けてもいない。負けないでいれば訪れる勝機をものにできる。
旧日本陸軍では「戦略は見えないもの、戦術は見えるもの」と定義されていたという。
企業経営でも社員に、戦術が見えなければ社員は動けない。
また「攻撃は最良の防御なり」という言葉をよく耳にするが、
これは、旧日本海軍の「海戦要務令」の記述で、
この原則が適用される「前提」は、敵の奇襲を受けたときの「特殊状況下」においてのみである。
防御より攻撃を重視するような戦略などは存在しない。